7月15日(金)
今日は大学を卒業し、2年間修業をさせていただいた会社の社長さんを送る会に参列してきました。
90歳を超えて、現役社長に返り咲かれ、そしてこの円安、超材料インフレの中で、その手腕を発揮されている中での急逝でした。
お別れの会で見せていただいた写真の数々、豪快なお姿の中に緻密さがありました。
それは、社長が大好きであった、まさに日本刀のような姿でした。
眼光は恐ろしいほどキレ、その風格、その輝き、そして切れ味。
一方で、刀以上に鍔を愛されました。そのお姿は、切れ味の中に、やさしさとカッコよさと粋な社長そのものでありました。
お父様から引き継がれた会社を一気に世界企業まで導かれました。
ニッチな分野の世界一、早・安・確 をモットーにすさまじい成長をけん引されました。
私は入社してすぐに任された仕事は溶解場を永遠に掃き清める(そうじ)ことでした。
私の着任した山梨工場の社員さん約70名の顔と名前をすべて覚えるまで、永遠にそうじだけするようにと命じられました。
今になって、その大切さがわかりました。しかし、その時は本当に退屈で退屈で時間の過ぎるのが長くて長くて、一刻も早く岐阜に帰りたいと願ったものでした。
先ずは、一刻も早く、そうじだけの毎日から抜け出したい。
そう思い、毎朝事務所の前に立って、出社される人たちに挨拶をして。
「え~っと、あなたは〇〇さんでしたっけ?」
と繰り返し、ところが大きな課題が・・・
多くの人の名前が「遠藤さん、望月さん、佐野さん」半分以上のみなさんがこの姓なのです。
従って、あさおさん、つとむさん、とフルネームで覚えました。
それでも1月でクリアしました。
そしてついに造型ラインを一つ任せていただけました。
造型と言っても、砂処理、注湯、型管理、ばらしまで全てが一つになったラインであり。
そこをアシスタントのおじさんと二人で全て担当させていただき、鋳物の基礎全てをこのラインで学ぶことが出来ました。
また、ここでみなさんの名前を全て覚えていたことも大きな利点でした。
あさおさん、これで良いですか?としおさん、これどうしますか?
こんなことから、一気に社員さんとの距離がなくなり、仕事もしっかりすることが出来るようになりました。
そして、皆さんから本当にたくさんを学ばせていただきました。
今、社長として会社を切り盛りできるのも、いや社長になれたことすら、この時に全てを経験できるこの職場を任せていただけたから。
感謝という言葉では言い表せないほどの恩人です。
お別れの会では、元社員として誰か旧知の人に会えるのではと期待しましたが
考えてみれば、23歳で入社した私が今は56歳、あの頃会社では自分が一番年齢が下でしたから、当然皆さん定年されている年なのです。一人ぽつんと寂しかったですが、それでも、全てはまるで昨日のことのようです。
寂しくもありますが、お世話になった社長のように私もしっかり社会のために役立っていきます。
「社長、約束いたします。地球に良いことどんどんしてまいります」
先ずは、ゆっくりお休みください。本当にありがとうございました。
社長 松原 史尚
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