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2022年05月06日 (株)マツバラのルーツ パート2

連休工事7日目
「お~!」なんか形になってきました。すご~く嬉しいです。
今日は本格的な夏日です、ほんの一週間前、工事スタート時には冷たい雨が降っていました。
作業を進めてくださる皆さんが、温度差で体調不良等無いように祈るところです
さて、今回は(株)マツバラのルーツの2回目です
先日のブログで、墨俣一夜城を築城したのが松原家の初代であることはお話ししました。
そこから時代は流れて、13代目忠右衛門さんが料理屋さんを始めたのが1901年、それから50年、1950年に15代啓吉さんが現在の鋳造業へと転身させました。
1901年、忠右衛門さんが始めた料理屋さんは名鉄各務原線の高田橋駅の近く、その川沿いにあったそうです。
その名を松月亭と言いました。
その後、14代源治さん、15代啓吉さんと移り料理旅館となって、最終的には3軒まで拡大したそうです。
戦時中、料理旅館は必要ないわけで、その間は川崎航空機、現在の川崎重工さんの女子寮として使用されたそうです。
終戦となり、女子寮として使用していた背景から、川崎重工さんに大変お世話になって、旅館は再建、ずいぶん繁盛したと啓吉さんに聞きました。
しかし、啓吉さんには7人の息子があり、その息子たちの将来を考えると料理屋さんでは不安で、別の道を模索したと聞いています。
当初は、産業を支える鋳造業、もしくは基盤整備を行う土木業かで迷ったようですが、結論的に当初アイシン精機さんの専務を啓吉さんの従妹がしていたそうで、「鋳物なら応援するぞ」とその従妹に言われたのが背中を押して、鋳造業への転身を決めたと聞いています。
今でも、川崎重工様、アイシン精機(現アイシン)様には大変お世話になっており、縁を感じるところです。
しかし、啓吉さん、晩年自分の代で先祖から受け継いだ料理屋さんを辞めてしまったことが気になり、16代忠康さんの子ども(男3名)を呼び、「誰か一人料理の道に進んで欲しい」、そう頼まれたのがきっかけで、再びマツバラグループは料理の道に入っていきます。
私が理系に進んだこともあり、「この先は鋳造業のトップはエンジニアのほうが良い、特に親父(忠康さん)が商業系であって、俺(17代英人さん現県立岐阜商業同窓会長)も同じ商業系なのできっとぶつかり続けるから、お前ら(私も、弟=副社長も理系)で鋳造をしっかり守れ、料理の道へは俺が行く」と兄が話してくれたことで、現在の体制になりました。
この兄が、創業したのが中国菜館桃の花です
https://momonohana.owst.jp
この桃の花、現在は縁あってマツバラ興業が経営をしています
先日、武田邦彦先生が桃の花へのメッセージをくれました
https://youtu.be/hJsoGAnFzWE
このメッセージの中で、武田先生も話されるように「日本人は中華が大好き」、父も兄も同感だったようで、それが中華料理のルールになったようです。
17代目英人さんも現在はモノづくりをされています
それが先日紹介した「ジアマックス」の製造会社株式会社バスターです
www.buster-japan.com
少し長くなってしまいましたが、今日も一日良い日でありますように
感謝を込めて
社長 松原 史尚

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